ゼム・クリップの出現は、思いの外、遠い過去のことではなく、19世紀末のこと。
ペトロスキーは、19世紀半ばのイギリスの有名な鉄道エンジニアのインサムバード・キングダム・ブルネルの肖像画を例示し、彼のデスクに置かれた紙をとめるクリップが大きなU字型の木製であったことを指摘しています。
木製ではなく、金属の小さな道具としては、古くから安全ピンがあります。
そして、ゼム・クリップと同様、金属の紙をとめる道具としてはピンがそれまで使われいました。
そして、ピンの機械製造は、針金加工の機械化によるゼム・クリップの出現をうながしたのではないでしょうか。
ペトロスキーによれば、『国富論』で知られる18世紀のスコットランドの経済学者のアダム・スミスがピンについて論じていることを指摘しています。
確かに、スミスは、ピンがとるに足りないほど微細な道具だからこそ、その機械生産を事例にして労働力、そして収益のメカニズムの説明に使っています。
スミスは分業によって、日に1人20本のピンもできなかったのが、分業によって4800本もできるようになるといいます。
そして分業は製造の機械化を引き起こしたのだといいます。
19世紀半ばには、針金を切断してピンを量産する機械が出現します。
この機械は近代機械技術の象徴としてスミソニアン博物館に展示されています。
ゼム・クリップの製造法の特許はコネチカット州のウィリアム・ミドルブルックが1899年にとっています。
以後、多くの改良案が出されていますが、結局ミドルブルックのデザインは今日のゼム・クリップとほとんど変わっていません。
しかし、ミドルブルックはクリップにではなく、その製造機械の方に特許を取っていたのです。
結局、現在のゼム・クリップそのものは、イギリスのゼム・リミテッドがデザインしたということになるでしょう。
