一例として、環境の汚染や破壊をもたらす産業活動に対しては、発生源負担原則を徹底すること・・・。
そのため多大なコスト負担を企業に強いるなど・・・
時には、「資本の論理」や商品経済の「法則」に反してでも資本制経済の制御に乗り出すことが、したがって自由主義のための国家介入ではなく反自由主義の旗を掲げた国家介入が必要になってくるでしょう。
そしてそれをなしうる行政権力を議会制民主主義の方法で、つまりは国民の選挙によって樹立すること。
さらには他の問題につながります。
つまり、資本制経済をその自己否定に導きつつ資本主導型文明のオルタナティヴをさぐってゆくこと・・・。
当のオルタナティヴが、どのようなプログラムとして具体化されるのかは、先験的には未知です。
それは本質的に、試行と経験のなかで次第に輪郭をととのえてゆくべき性格のものです。
将来社会像をめぐるあれこれの先行思想また理論が役立つことはあるとしても、おそらく部分としてであり、要素としてでしょう。
地球環境を守れというエコロジー運動は、それ自体はもっともな運動です。
しかし、やや見方をかえれば、野放しの資本展開にブレーキをかけることによって資本制経済の行き詰まりをあらかじめ回避させ、あるいはエコ・ビジネスという新たな投資の場を提供することによって資本制経済システムを延命させるのに資するという側面をもっています。
このような歴史の弁証法に留意するだけでも、長期展望に立つ考察が一筋縄ではいかぬことは容易にみてとれるでしょう。