数千キロワット程度の発電所がビルごとにあると考えてみてください。


もしそういう技術が普及していくと、分散した発電技術が都市で使われるようになるわけです。


今はエステなどのスキンケア 通販もありますし、ますます都市が分散化されていくことが予想されます。


今まで山奥に住むと電気をなかなか引いてくれないということで町中に住んでいた人にとっては、少なくともそういう制約条件はなくなりますよね。


同じようなことが交通とか通信についても起こっています。


・・・例えば、交通では幹線部分を考えると、飛行機が非常に多く使われています。


これは今のところ大きな都市にしか飛行場がなく、とくに東京、大阪以外では不便なものです。


ところが最近、コミュータi航空が検討されています。


離着陸距離が短く、5、600メートルの滑走路があれば十分な飛行機とか、もっと小さい場合にはヘリコプターを使って、数十キロ程度の距離でも、飛行機とかヘリコプターで輸送しようという技術です。


そうすると飛行機がそもそも小型機で、10人乗り、20人乗りくらいですから、大都市を結ぶよりはむしろ地方都市間を結ぶほうが経済性がよくなる技術になります。


展開動力論なしには、資本主義がどうして今日のような高度の発展を遂げることができたのかという論点も宙に浮いてしまいます。


現代文明のダイナミクスは、まさに競争関係に促迫された資本のダイナミクスにほかなりません。


資本は単に「資本である」ためにも、たえず「資本である」こと以上のことを追求する必要があります。


たえず「より以上の」ことを追求し、たえず前に進むことによってはじめて資本としての維持存続も可能になるのです。


こういうビヘイヴィアが資本主義の、ひいては現代文明の活力源となるのです。


買い手がつくかどうか、受け手がいるかどうか・・・


これが日本の死命を制します。


それゆえ資本サイドでは、否が応でもあれこれのイノヴェーションに励まざるを得ません。


プロセス・イノヴェーションであれ、プロダクト・イノヴェーションであれ・・・


次から次へと新しいものを生み出すことこそが、至上命令となるのです。


これはヘアケア 口コミ商品など美容業界にも言えることでしょう。

現代社会はなにゆえにこうも複雑で、激変的なのでしょうか。


現代文明が資本主義型の文明である点にその主要な理由は存在します。


不要になった家電は家電 買取で簡単に処分することが出来、新しいものをすぐに買える世の中・・・


「資本主義型」というのは、資本主義を特にその展開動力の面から捉えようとする場合の言い方です。


文明の、ひいては歴史の展開動力が資本間の競争関係に由来することを含意しています。


巷間、資本主義と社会主義との違いを工業社会を目指す方式の違いに過ぎないとして、両者の本質的な違いを消極化しようとする議論がしばしば見受けられます。


しかし、類似点があるからといって相違点が消えてしまうわけではありません。


相違点は多々あるけれども、いまの文脈でいえば資本主義は競争関係を展開の動力としている点で社会主義とは本質的に異なっているのです。


現代社会の複雑さとドラスティックな可変性とは、ある生活場面では立派にその役目を果たすドライヴィークルも、別の生活場面では効力を失うというむなしさをしばしば露呈するものです。


生活体系が複雑で入り組んだ多面体をなしているという空間的な多様性と、変化に富んでいるという時間上の多様性との二重の多様性が、ドライヴィークルの通用範囲を制限するのです。


ある少女がタレントの誰それの熱狂的なファンであったとしても、そのことは、いついかなるときにも彼女の生命力を高揚させてくれるほどの・・・


つまり彼女の全存在を支えてくれるほどの神通力は持っていないでしょう。


ダイヤモンドの指輪もミンクのコートも、自分はなにがしという歴史上の人物の子孫であるという誇りも、それらはいずれもドライヴィークルたりうるものではあるでしょう。


しかし、やはり万能ではないのです。


現代社会の複雑さは、つかみどころのなさでもあります。


目まぐるしい変化にさらされていることは、不安定さでもあります。


この点が現代人の不安の一因となっています。


そしてこの不安が人々にドライヴィークルを求めさせます。


・・・にもかかわらず、現代社会の複雑さと可変性ゆえにドライヴィークルは通用力を制限せざるをえないのです。


現代社会は人々を一種のダブル・バインド状態に置くのです。


ドライヴィークルを求めよ!


しかし、いつまでもしがみつくな!


・・・ここに、決定的な打開策を見出しえないままいつまでたっても宙吊り状態から抜け出せない現代人の姿が凝縮的に示しだされています。


現代人は飽きっぽいかというと、そうではないと思います。


では、「これぞ」というドライヴィークルに対してさえ興味や情熱が長続きしないのはなぜでしょうか。


現代人の生活が複雑で多面的なこと、めまぐるしい変化にさらされていること、それが主要な理由です。


たとえば産業革命以前の、あるいは現代においても世界各地に見られる農業社会のことを思い浮かべてみるといいでしょう。


そこでの日々の生活はどんな具合のものでしょうか。


多かれ少なかれ個別差はあるにせよ、大筋においては生活リズムも作業ペースも、太陽の運行つまり日の出日の入りをはじめ、天候、気象などの自然条件によって左右されるところが大きいです。


生活のあり方はそれなりの多面性を持っているとしても、わたしたち現代社会に比すれば単調で変化に乏しい社会であることは容易に想像がつきます。


少なくとも、いま来ている衣服が来年には流行遅れになるなどといったことを心配する必要はありません。


日々接しなくてはならない人の数や付き合い方の種類も、ごく限られているでしょう。


前回述べたようなことは、〈人間の運命〉にこだわりすぎ、という違和感や、場合によっては嫌悪感をさえ抱かれる向きがあるかもしれません。


特に、現代の若者像を切開するときのその手法や観点については、当の若い世代から反発を買うことも予想しています。


しかし、時代感覚やフィーリング、人間関係の在り方についての考え方などは、時代が下るほど、その意味での新しいものほどよりポイントが高いとか、今後の望ましい方向を指し示しているなどとは必ずしもいえないということを、あえて指摘しておきたいのです。


世代間ギャップがあるのなら、大いに相互討論すればいいでしょう。


あらかじめ気心の知れた者同士で、"ゆるやかに"ではあれ、"友達の輪"を囲っておいて、其の上での異質の意見や個性をも尊重しまうというのでは、ちょっと病弱すぎる気がしますが。


「永い年月のうちには、あらゆることがおきる」


これはメナンドロスの言葉です。


実際、現代社会の様相も現代世界の構造も大きく変わってきました。

「原理がなければ漂流するものである」とハイエクは述べています。


含蓄のある、立派な言葉です。


しかし困ったことに、原理そのものも漂流することがあります。


時代状況の変化が原理の根元を押し流してしまうのです。


根っ子のところが流されてしまっても、表面にはまだ目に見える部分が残っているから、漂流する身であることがうすうす気づかれてはいても正面から見据えられることがないでしょう。


有り金をあらかた使い果たしてしまったのに、なおもわずかな残余に望みをつなぐのに似て・・・。


原理によって把握される対象だけでなく原理の漂流についてもよく説明しうるような、そして漂流を食い止めることができるような原理を打ち立てること・・・。


相も変わらずこんなふうに力んでしまうのは、「原理」にこだわってきた者(世代P)の度しがたい習癖でしょうか。


この回に名前を付けるとすれば、現代社会論ということになるでしょう。


結果的には、とりわけ現代の人間状況を執拗に見つめ続けたことになります。


一例として、環境の汚染や破壊をもたらす産業活動に対しては、発生源負担原則を徹底すること・・・。


そのため多大なコスト負担を企業に強いるなど・・・


時には、「資本の論理」や商品経済の「法則」に反してでも資本制経済の制御に乗り出すことが、したがって自由主義のための国家介入ではなく反自由主義の旗を掲げた国家介入が必要になってくるでしょう。


そしてそれをなしうる行政権力を議会制民主主義の方法で、つまりは国民の選挙によって樹立すること。


さらには他の問題につながります。


つまり、資本制経済をその自己否定に導きつつ資本主導型文明のオルタナティヴをさぐってゆくこと・・・。


当のオルタナティヴが、どのようなプログラムとして具体化されるのかは、先験的には未知です。


それは本質的に、試行と経験のなかで次第に輪郭をととのえてゆくべき性格のものです。


将来社会像をめぐるあれこれの先行思想また理論が役立つことはあるとしても、おそらく部分としてであり、要素としてでしょう。


地球環境を守れというエコロジー運動は、それ自体はもっともな運動です。


しかし、やや見方をかえれば、野放しの資本展開にブレーキをかけることによって資本制経済の行き詰まりをあらかじめ回避させ、あるいはエコ・ビジネスという新たな投資の場を提供することによって資本制経済システムを延命させるのに資するという側面をもっています。


このような歴史の弁証法に留意するだけでも、長期展望に立つ考察が一筋縄ではいかぬことは容易にみてとれるでしょう。


「日本もまじめに社会的に合理的な調査報告の積み上げ、その上で意思決定がされるようなシステムにもっていかないと、もういけない」(「高度医療社会の技術と倫理」1990年)


・・・という姿勢が行動準則といってもよいほどの重要性をもつに至っている今日。


そうした必然論の発想は単なる怠け者の世迷い言にすぎなくなっています。


「社会的に合理的な調査報告を積み上げる」


・・・という忍耐つよさ・ねばりつよさと、問題を先送りしないで今日この場での処理ないし解決をめざすという踏ん張りや積極さが、制御の思想の中心をなすとともに、将来的には「人間の自律性」の基本成分ともなるでしょう。


資本制革命の制御は、しかし当面可能な現実的方策であって、世紀単位の長期展望の見地からは、もっと前へと考察を進めなければなりません。


これが問題になります。


つまり、途中経過を省略していえば、資本制経済の巨大な変革力を制御しつつ資本制経済をその自己否定に導くこと。


・・・これは端的にいえば、資本蓄積も、したがって経済成長もやめさせて、また消費者サイドでも断念して、資本制経済をまずは単純再生産の体制へと導くことです。


そのための一つの有効な方策は、ディレギュレーション(規制撤廃)ではなく、むしろリレギュレーション(規制強化)を推進することです。

世直し運動は、たとえ地理的には地方や地域で行なわれているにすぎないとしても、それが自覚的であれ無自覚的であれ資本制経済の原理と仕組みに楯突く質をもつものであるなら・・・


それは、ナショナルな意義を有するナショナル運動であるといいえます。


一方、資本主義ベター論に立つ運動は、たとえ地理的には全国規模のひろがりをもっていようと、事実上、資本制経済の原理と仕組みのヴァリエーションをつくり出そうとするにすぎません。


運動の質という点からいえばローカル運動であるにとどまります。


そのような意味でのナショナル運動とローカル運動の違いは端的に「連帯」の質の違いとなって現われます。


協闘としての連帯か、「ゆるやかな」連帯か・・・。


この違いは、自覚的にあるいは無自覚的に、深層レベルでの変革をめざすか表層レベルでの改善をめざすかという違いに照応します。


もっとも、ナショナル運動としての質をもつ連帯とて、運動が持続するかぎりで成立するものですから、高揚しては退潮するという断続性を免れません。


表層・深層という二重の存在様式を克服していわば一重の存在様式をもつのは、何世代も先のことでしょう。


それまでの年月は、協働的連帯の試行期間と経験の蓄積過程としての意義をもつことになります。


「制御」の思想は、「必然性」という言葉を追放するところから始まります。


「法則」重視の思考も同断ですが、政治ずれした人たちの、訳知り顔した「力関係」論もこの際さまたげとなります。


「力関係からして、かくかくしかじかの結果になるのは必然的」云々・・・。


ですが、「結局、日本も非常に合理的な政策立案をしなくてはならない」という、あたりまえの結論になります。

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